| 6年前…。その14 2006/08/11 | - 2002年7月にCD作成のためレコーディングをし、2003年3月16日にChokami It!!フルメンバーによるCD発記念ライブが決定したのですが、この間、バンドはどんな活動をしていたのか振り返ってみたいと思います。なぜ、こんな展開になっているかというと、ちょっとびっくりしたことがありまして…。どうびっくりしたのかは、今書くと構成上面白くないので後で書きます(笑)。
1stアルバム「Chokami It!!,Chokami It!!,」には5曲が収録されていますが、2002年7月の録音時は「数あるオリジナルから選び抜かれた5曲」というMCネタは全くのでたらめで(笑)、オリジナルは本当にこの5曲しかありませんでした。しかも「Stay With Me」はまきを君のMCネタ(MCネタ続きで申し訳ない)にもなっていたように僕が作ってから「美しいと言われつづけて早10年」が経っていて…。という事情から、当時全くの新曲は4曲ということになります。ライブは月1〜2回Holly’sなどでやってましたが、内容は、キーボードが居ない4人で、CDの5曲+スタンダードChoka流アレンジ物数曲に実験的なオリジナル新曲をいくつか演奏するというものでした。一回のライブで15〜20曲くらい演奏するので、初めはほとんどがカバーやスタンダードでした。いつか忘れましたが、ある日、まきを君が「もっとオリジナル中心に変化していこう!」という提案があり、メンバーももちろん賛成。そこからオリジナル曲倍増作戦が始まったのでした。
やり方は前にも紹介したChokami流で、作曲リハを毎月設定し、2曲がノルマ、果たさなければ1曲につき3万円の罰金という、キャッシュ方式(こんな呼び方はありません(笑))。お金がかかるとなんとなくプレッシャーがかかって作ってくるんですねえ。僕と笹井君は無借金生活が続きましたが、逸見さんは作曲リハがある度に借金を重ねるという人生を選択してました(笑)。
ノルマにより出てきた曲の中から採用曲を決定し、約1ヶ月でまきを君が歌詞をつけ、その間にバンドがアレンジ、月に1〜2回あるライブで実験的に演奏を行い、細かい修正をかけて完成度を上げる。1ヶ月のサイクルとしてはこんな感じで数ヶ月が経過します。やってる当時はたいして忙しいとは感じていませんでしたが、メンバーそれぞれがかなりのパワーをつぎ込んでいたと思います。他にも色々とセッションをこなしながらの作詞作曲作業ですから・・・。今やれ、と言われてもきっとできないやろなあ…(笑)。
初めにビックリしたことがあると書きましたが、3/16フルチョカ初ライブの曲目なんです。整理の悪い僕は全く資料が残っておらず、あちこち見てたらFANTA君のHPの中に当時の曲と写真がアップされていました。(何とライブのサンプルまで聞けてしまうという超貴重なものです!) 歌モノだけで数えると、1st・2nd通じて何とオリジナル曲が14曲、カバーはたったの3曲なんですよねえ。ホンマにいつの間に作ったん・・・?って感じで(笑)。セカンドアルバムに入る曲が5曲もあったのは意外でした。う〜ん、恐るべしパワーや…。(続く) -
| | | 6年前…。その13 2006/08/03 | - 2002年11月、蔵童子のライブのある日、本番前にまきを君から「今日、病院に行って写真撮ってもらってんけど見る?」と数枚の写真を見せてもらいました。
その時期、まきを君とはライブで毎週1〜2回会ってたんですが、時々「飲食したものが詰まる。」と言って、ものすごく苦しむことがあったんです。それはもうかなり苦しそうで、背中を叩いたりしてあげることしかできないことが申し訳ないくらいでした。前々から、一度医者に行って見てもらうように言ってたんですが、忙しかったり医者が嫌い(笑)だったりで…。10月末からその症状がきつくなってきたので、通院したところ胃カメラを飲むことになり、その日が検査日だったんです。
写真には、まきを君の食道から胃にかけての画像が写っていました。ど素人の僕が見ても、明らかに異物があることが確認できました。「ん?、何これ?」と聞くと、食道あたりにテニスボールくらいの腫瘍がある、とのこと。良いものかどうかはこれから調べること、近いうちに手術をして取り除かなくてはいけないことも知りました。「どないすんの?」の問いには、今はもう決まってる仕事があるから時期見て考える、との返事。「キャンセルが可能なら、できるだけ早い時期に手術した方がエエで。」とアドバイスしたのを覚えています。
そうこうしている内に、その手術を彼女の地元である東京で4月に行うため、3月中旬からオフになることが決まりました。とりあえず彼女がオフになる3月までにCD完成させないと…、と思いました。で、CD作るからには、やっぱりレコ初ライブをせな盛り上がらへんで、となり、今までライブに参加したことのないFanta君を口説き落とし、まきを君が定期的に出演していた大阪の老舗のライブハウスであるロイヤルホースで、Chokami It!!フルメンバーによるライブを行うことが決まりました。おまけにまきを君の誕生日である3月16日!!
うちは物事を決めるとアホみたいに推進力があるので、それまで懸念事項だったジャケットはいつも世話になっていたピーマンさんに、プレスはHolly’sで一緒にライブをしていたベースの小出さんにそれぞれ頼むこととなり、CDを発売するのに必要なことがバンバン決まっていったことを覚えています。アルバムタイトルを決めるときに色んなタイトルが出て面白かったこととか、歌詞カードを手書きにするというあったかいアイディアが出たこととか、色々印象に残っていますが、一番の印象的だったのは、アルバムジャケット。ハートが飛んでて渦巻きみたいにグルグル巻いてある中心に赤いものがありますよねえ。ピーマンさん曰く、これが先に書いた腫瘍を表してて、それをみんなの気持ち・愛情で退治しようというものでした。内容を聞いたときは何か感動しちまいました。(続く) -
| | | 6年前…。その12 2006/07/27 | - 西田です〜。長い間ご無沙汰してしまいました。ごめんなさい。言い訳はしません(笑)。度重なる熱い要望とちょっとマイブームがやってきた(ものすごい自己都合…)ので書いてみます。頑張りまっす!
レコーディング終了後、仮ミックスをもらってメンバーに配布しそれぞれが聴きました。そこで出てきた意見が「バランスはエエ感じなんやけど、いつものChokamiらしくない…。」という内容でした。仕上がりにこちらが思っていたほどバンド感が足りなかったんですねえ。そこで木村さんに「ポップスでありながら、もっとバンドサウンドを意識したミックスをお願いします。」と依頼。もう一度スタジオキッスに集まり、1曲ずつ煮詰めていく作業に入りました。
こういう時のリーダーは笹井君。彼のトータルな発想と新しい感覚(彼が一番年下です。わかってるか(笑))を取り入れていくことで曲がより新鮮になっていくんです。全体像は笹井君、各パートはメンバーそれぞれが意見を出す形を基本として、それぞれがあーだこーだと言いながら、ミックスダウンが進んでいきました。木村さんとアシスタントの方がこちらの要望を実現するために、すごい気合で動いていただいてたのが印象的やったなあ。木村マジック炸裂でした。そのパワーのおかげで深夜にミックスダウンが終了。
これでCDを作成するためのマスターが出来上がりました。僕個人としては自分のCDを作るという作業は初めてだったので、これで作業のほとんどが終了したという安堵感がありました。でも結果的にはここからが大変やったなあ…。
まず、つまづいたのがジャケット。これが何にも決まっていない状況で、どないするのかというアイディアさえ無かったと思います。自分たちでは作れないし、誰にどのようにどんなコンセプトで頼むのか、この辺が全然できていなかったんです。 それとプレスをどうするか、という問題もありました。マスターは上がってるのに、どこに頼むのか、何枚作るのか、いくらかかるのか、どれくらいの期間を見れば良いのか、なんてことがさっぱり決まっていませんでした。
で、そんなところにそれまでにライブやらイベントで色々仕事をもらっていたある人物から、プレス関係でプロモーション込みでエエ話があるんやがどないですか…、みたいな話があったんですねえ。まあ、話だけ聞いてると悪い話じゃないけど…、信用して良いのやら悪いのやら…、てなことを検討してると時間がどんどん過ぎて、プレスの決定がズルズル延びてしまいました。結局それを断って自分たちでプレスをしようということになりました。
その決定をしたのが2002年11月初旬。7月末にはマスターが完成しているというのにCDが完成しない、という焦りが出てきてました。蔵童子のライブでは「録った&作る」を連呼して、まだできていないのに予約なんかを受け付けてましたから(笑)。
ところがそんな時間を過ごしている間に、ボーカルのまきを君に大変なことが起こっていたのでした…。(続く) -
| | | 6年前…。その11 2005/10/28 | - なかなか時間が取れず、期間がかなり空いてしまいました(反省…)。今回は1stレコーディング続編です。
1日目はボーカルを除く基本的な音ネタの録音が無事終了。2日目はボーカルとアコースティックギターの録音とミックスダウンを行う予定でした。簡単に言うと録音はまきを君と僕だけで、あとは録音した音を最終の製品として仕上げていく作業になります。
入りが13時だったので、少し早めに行き、ギターのセッティングをして早速録音開始。まずはガットギターの録音でした。Meaning〜のバッキングとソロの録音です。きちんと予習していったのでバッキングはすんなり2テイクくらいでOKとなりました。次にソロパート。ガットギターであのパートを弾くのが初めてだったのでどうなるか不安でしたが、大体の構成を練っていったおかげか、思ったよりすんなり弾けて無事終了(ホッ)。
次にアコースティックギターの録音。冷たい河とStay With Meの録音でしたが、これも何とか無事に終了。これでバックの音ネタは全て録り終えたことになり、いよいよボーカル&コーラスの録音を残すのみとなりました。
まきを君の録音開始。いつも歌っている曲なのでこれも順調に進んでいきます。コーラスパートもあらかじめ決めていたようで、ガンガン録っていくという感じでした。ボーカル&コーラスも無事録音が終了し、最後に残った録音が「けちこん」(「結婚しようよ〜You Will Marry Me」のこと。僕らはいつもこう呼んでいます。)のオーラス部分のガヤ入れ(ガヤガヤとみんなで歌っている部分です。)
メンバーはもちろんのこと、エンジニアの木村さんまでスタジオに借り出し、マイクに向かって「ラ、ララララ〜。」と大合唱。木村さんがエライ楽しそうに歌ってたのがすごく印象的でした(笑)。
これでひとまず、CDのソースは全て録り終えたことになりました。次に待ってるのがミックスダウンという作業。音のバランスや音質等を調整し曲を仕上げていく作業です。このミックスでその製品の良し悪しが決まるくらい重要なところなんです。録音が終わってから、少し休憩を入れてすぐにこの作業に入りました。ここからはエンジニアの木村さんの出番。当日はあんまり時間が取れなかったので、木村さんの方で仮ミックスをお願いして、それを聞いてから別の日にメンバーがスタジオに立会い意見を出しあって仕上げていくこととなりました。まずはレコーディング2日間を無事に終えることができました。(続く) -
| | | 6年前…。その10 2005/09/27 | - 西田です。大変お待たせしました。連載を再開します。と言っても、前みたいに毎週というわけにはいかないかも知れませんが、頑張りますのでよろしくお願いします。
2002年7月23日(火)&24日(水)。手帳には録音と書いてあるだけ。もう3年以上前なんで、どんな天気だったのか、暑かったのかどうかも覚えてないんですよねえ。確か雨は降ってなかったなあ。おそらく普通の真夏の日だったと思います。
福島区にあるスタジオキッスに入って、最初に行ったのはFanta君が作ってくれたキーボードパートをスタジオの機材に流し込む作業でした。平行して、このオケにドラムとベースとギターの基本パートを録音するために、各自が機材のセッティングとパートの確認をしていました。1stアルバムのレコーディング期間は2日間。この間に5曲すべての録音を終えなければなりません。簡単な手順を説明すると、まずオケに合わせてリズムパートの録音。次に各パートの追加バッキングの録音。次にソロパートの録音。最後にボーカルとコーラスの録音、という感じになります。今回はパーカッションも録音するので2日目にはホイッスル和佐野氏もスタジオに来ていました。録音が2日間なので、各パートができるだけ短時間で録りきることが課題となってました。その関係でまきを親分から「録音で3テイクまで。あとは1テイク追加するごとに罰金が3万円を課す。」とお触れが出ていたので、各自キャッシュなプレッシャーがかかっていました。(笑)
準備が整い、BJ君、逸見さん、僕がまずリズムトラックの録音に入りました。録った曲順は覚えてませんが、このリズム録りはとにかく順調に進んだ記憶があります。音質のチェックをして簡単にリハーサルをして本番録り、あとは各自の自己申告を基本にOKテイクかどうかの判断となるわけなんですが、Stay With Meのリズム録りの時の逸見さんなんかは、リハーサルの時にすでに「OKです。」なんて言ったりしてたなあ。(笑)
みんな録音経験が何回かあるので、録音のコツとかをきっちり掴んでいるですよねえ。もちろん親分命令の威力も強烈なんですが…(笑)。1日目はリズムトラックと追加のバッキング、エレキギターによるソロを録り終えて終了しました。
自分のことになってしまいますが、この1日目で、良質のプレッシャーがかかると自分の実力以上のものが出ることがあるなあ、と思ったことがあります。いわゆる火事場の馬鹿力というヤツです(笑)。Meaning Of My Lifeのラストのエレキギターソロなんですが、あんまり得意パターンではないので雰囲気で弾こうと思い、作曲者のBJ君に当日「どんな雰囲気で弾くのが良い?」と質問しました。答えは「ジャジーにお願いします。」でした。心の中で「うーん、ジャジーか…。」(汗)。 考えてる時間は当然のようにありません。「えーい、ままよ。」とばかりに録音を始めたんですが、2テイク目でOK。内心ホッとしました。決してジャジーとは言えないですが…。でも、はっきり言ってこれは自分では「2度とできない」に近い形で録れたんです。もちろんそれまでの蓄積があったから、ということになりますが、録音という緊張状態で使える音を録るというのは、またこれが結構難しかったりするので…。親分命令もキツイと思ったりしていましたが、回数を録ったら良いものが録れるということは経験上ほとんどないので、これはかなり理にかなったものと思うようになりました。不思議ですねえ(笑)。
次回は録音の続編を書く予定です。えー、できるだけ早いこと書きます(笑)。(続く) -
| | | 6年前…。その9 2005/08/16 | - 西田です。ちょっと色々重なって1週間ほどアップが遅れてしまいました。ごめんなさい。その代わりと言っては何ですが、今回はボリュームアップして合併号みたいな感じでお届けします(笑)。
前回のとおり、レコーディングの日程が決定して、いよいよバンドがレコーディングモードに入っていきます。 まきを君が作詞担当なのですが、やると決めた時のまきをパワーはホントに凄まじく(笑)、超スピードで作詞が完成していってたなあ・・・。 ライブでは、スタンダードやポップスを中心にオリジナルを加えて演奏していましたが、やはりジャズ・ファンクセッションの臭いが強く、ライブの中でのオリジナル優先度はあまり高くなかった気がします。これはもちろんオリジナルの曲数が少ないことが最大の原因で、一定の時間をライブで演奏するにはスタンダード等の力を借りるしかなかった事情があったんです。そこを脱却すべく少しずつでも新曲を増やしてバンドとして活動することを目指したのですが、これがなかなか思うように進まない…。みんな良いものを作りたい、という気持ちが強く、曲のアレンジ一つにしても色々な角度から意見が出てきます。スタジオに入って、これっ!ってピンと来るときはどんどん作業が進むんだけど、ちょっと引っ掛かるとなかなか決まらないんですよねえ。
その中で意見として出てきたのが、自分達の曲はどの曲もキーボードがある方がずっと良いものになる、ということでした。作成中の曲がジャズファンクセッション的な曲ではなく、ポップスとしての完成度を目指す曲だったので、キーボードの存在がその完成度に大きく影響が出ることがわかってきました。
そこで候補に上がったのがFanta君でした。前にも書きましたが、彼は僕が10年程前にオリジナルのポップスバンドで一緒に活動してて、まず彼の「キーボーディスト」としての実力はメンバーみんなが十分わかっていました。さらに、彼は音楽製作にかかわる仕事をしてて、メンバーそれぞれが彼のディレクションで色々レコーディングに参加して、彼の作曲・アレンジ等音楽をトータルな視点で捉える力はメンバー全てが認めていました。 となれば、話は早いほうが良いので、早速レコーディング日程を彼に連絡しキーボードとしてアルバムに参加してくれるよう要請しました。返事は“OK!”でした。ただし、実際のレコーディングには参加できないので、バンドアレンジした曲を彼に渡し、キーボードパートはPCを使って自宅録音し、その録音したデータをスタジオに持ち込み他のパートを重ね録りしていく、という手法を使うことになりました。
確か5月の終わりから6月初め頃に参加を要請したんですが、まだアレンジが全曲固まっていない状態だったなあ。そんな中、スタジオに4人でリハーサルに入り、1曲ずつ仕上げていくというChokami It!!には似合わない(笑)地道な作業をしていた記憶があります。とにかくレコーディングするためには、アレンジを固めてリハ演奏をMDに録音し、譜面と一緒にFanta君に渡す作業が最優先となりました。Fanta君はそれまでメンバーと個別に面識はありましたが、Chokami It!!のライブに参加したことすらなかったんですよねえ。その人にオリジナル曲をキーボードアレンジしてもらってレコーディングするんだけど、肝心のバンドアレンジは未確定…という、今考えると少し無茶な企画だった(笑)。 でもさすがですねえ、うちのメンバーは追い詰められたら強い(笑)。予定の5曲のうち、1曲はギターとのデュオにして、残り4曲の内、3曲のアレンジがエエ感じで固まっていきました。で、最後の残ったのが「道玄坂ストリート」だったんです。
「道玄坂ストリート」はとにかくアレンジが決まらなかった記憶があります。曲がシンプルで色々なアレンジがいけそうなんだけど、どれもしっくり来ない…という一種のハマリパターンに陥るギリギリに居たような気がします。記憶ではレコーディング当月の7月になっても曲の基本ビートすら決まっていない状態でした。 すごく個人的な話になって恐縮ですが、作曲者の僕も、「道玄」の具体的なアレンジのイメージが浮かばず時間ばかりかかってしまい、メンバーに対して申し訳ない気持ちでいっぱいでした。このままではこの曲はレコーディングできないかも、なんて考えたこともあるなあ。でもこういう時には作曲した人間がリーダーシップ取らないと…、と思い直し、「誰が何と言おうとこのアレンジでいく。」という気合でアレンジ譜面を書いてスタジオに持っていきました。お笑いですけど、この時の一番のミソがイントロでした。曲本体じゃなかったんですねえ。変な話ですが、このイントロが浮かんだ瞬間に、この雰囲気で曲を支配できるんじゃないか、みたいな自信がわいて、苦労していたアレンジのヒントが見えた気がしました。イントロもBJ君からさらにエエ感じのアイディアをもらって、それまでの苦労がウソのように曲全体のアレンジがバンバン固まっていったことを覚えています。
最終リハが確かレコーディングの2日前の7/21。レコーディング用の最終チェック用のリハだったんですが、アレンジがその時にも微妙に変わって、事前にアレンジを渡しているFanta君にスタジオからアレンジ変更の電話をしたりしてたなあ・・・。 そんなこんなで、Chokami It!!の1stアルバムをレコーディングする日がやってきました。時は2002年7月23日でした。(続く) -
| | | 6年前…。その8 2005/08/03 | - 西田です。今回からChokami It!!の本格的な活動編に入っていくんですが、いやホンマに短期集中型のバンドやなあ、と改めて思いました(笑)。
2002年の茶碗さん宅での新年会。茶碗さんにはメンバーの新曲発表会を兼ねていることを予め伝えていたので、メンバーだけで話ができるように同じ建物内の別宅を用意してもらい、おまけにキーボードまでセットされているという、至れり尽せりの状況で新年会が始まりました。実はこの新年会に備えてというわけではないですが、僕とまきを君はその年末にハードディスクレコーダーを購入して・・・。(今ではインテリアになってしまってますが…。) 初めは普通に飲んだり食べたりしていましたが、宴もたけなわになり、いよいよ新曲発表タイムに。発表の順番は忘れましたが、とりあえずドラムの逸見さんは親分命令をキープできず、あえなくChokami借金生活(@3万円×2曲=6万円)になってしまいました。(笑) このときに僕が持っていったのは確か3曲だったかな。簡単なオケとメロディを上記のHDDレコーダーに入れて持っていったのですが、2曲ほど使えそうということになり、茶碗さん宅でマイクを借り、まきを君のボーカルとコーラスを録音しました。肉声の歌が入るとエエ加減なオケがかなりゴージャスになり、これはホンマに使えるという手ごたえを感じたことを覚えています。実はこの2曲は、1stに入っている「道玄坂ストリート」と「冷たい河」なんです。 BJ君ももちろん罰金を恐れてか(笑)何曲か持ってきていました。これもギター伴奏をHDDレコーダーに録音し、仮歌が入り2曲が採用。この2曲は同じく1stに入っている「結婚しようよ〜Will You Mary Me?〜」と「Meaning Of My Life」になっていきます。
こぼれ話ですが、「道玄坂ストリート」はCDよりも随分控えめな感じでホンマに骨と皮しかないようなイメージでした。(これが後にバンドアレンジで苦労することになるんですが…。) 「結婚しようよ」は仮タイトルが確かクリームシチューだったなあ。CDに入っているアレンジと違いボサノバっぽくてホンワカした雰囲気をかもし出していたと思います。
とまあ、こんな感じで(どんな感じや!(笑))、新曲発表会は幕を閉じます。採用曲は“バンドアレンジすれば必ず使える”という手ごたえを感じるに十分な出来でした。ここでChokami It!!のお調子乗りキャラが出てきます。「どうせ曲作るんやったらやっぱりCDを作ろう!!」ということになり、この新年会でCD作成のバンド総意ができてしまうんですよねえ。まだ、ちゃんと曲もできてないのに(笑)。そのためにはリハーサルを十分行い、バンドアレンジを固めていこう、と誓いを立てました。
新曲といってもまだ歌詞がついていないので、まきを君がさっそく歌詞作成に取りかかりました。歌物のオリジナルは作詞と作曲が違う人物の場合は、曲の雰囲気や進行(例えば、1番2番サビとか)についてよく話をしておかないと、仕上がりの納得度に微妙な差ができて修正が大変になったりするので、よく蔵童子ライブの休憩中とかに新曲の話をしていたことを思い出します。
そしてこの頃からバンドの活動も4人で入ることが定型化し、塚本のグランバーや神戸のホリーズでChokami It!!としてライブ活動をするようになります。2002年5月の高槻ジャズストリートではChokami It!!でエントリーして出演した記録も残っています。 そうこうしているうちに、メンバーそれぞれがChokami It!!以外の活動もあり多忙なため、レコーディング日程だけでも押さえようということになり、大阪市福島区にあるスタジオキッスを予約したのです。レコーディング日は2002/7/23,24。 予約したのは2002年5月なんですが、肝心のオリジナルの進行具合はと言うと…。歌詞はほとんどOKだったけど、バンドアレンジはStay With Me以外に完成品無し…。う〜ん、あと2ヶ月でホンマにレコーディング入れるの?って感じでした。(続く) -
| | | 6年前…。その7 2005/07/27 | - 西田です。早いもので書き始めて7回目なんですねえ。前に「Chokami It!!結成までを書きます。」としていましたが、もう少し先まで書いてみることにしました。単純に良いキリが見つけられなかっただけなんですが…(笑)。
2001年8月、高槻のJKカフェにてまきをバンド(まきを君、BJ君、逸見さん、僕)がライブを行いました。僕の記憶では4人が初めて揃ったライブで、内容は例によってジャズ中心にポップスを織り交ぜたものでした。ジャズのスタンダードをファンクビート等で演奏したりしましたが、ドラムが加わることでそのアレンジの方向性もより明確になり、普通のカルテットとはちょっと一味違った感じに仕上がっていたと思います。この日の演奏がまきを君と逸見さんの初共演でした。その日はライブが終わって、BJ君推奨の高槻市内にある食べ放題系の焼肉屋に打ち上げに行きました。
23時過ぎに入って26時頃まで食べながら飲みながら色々と話をしたんですが、この打ち上げで半ば強制的に逸見さんのまきをバンドへの正式参加が決まり(笑)、まずはこの4人でバンドとして動き出すことになります。 せっかくだからバンド名を決めようと言うことになり、まあ、おふざけ好きのメンバーなもんで、まじめなものから不真面目なものまで色々と候補が出ていたと思います。その会話の中で、「自分、ホンマにイッチョカミやなあ。」という発言があり、「おっ、それエエがな。」となり、その流れでそれを繰り返してみてビックリマークでも付けようということになり、なんとなくChokami It!!というバンド名が決まりました。コラムの展開的にはもう少し感動的な決まり方があれば良かったんですが…(笑)。ホンマに単なる流れで軽く安くすんなり決まったという印象があります。 というわけで、2001年秋にChokami It!!として活動を開始。スケジュールが合う限り4人でライブをしましたが、揃わないときはトリオまたはトラ(いわゆる代役)を入れて演奏したこともありました。曲がスタンダードジャズ・ポップス中心だったので、トラが可能だった時期、いわゆるジャズセッション的な一面を残している頃でした。エゴラッピンのサポートをしているベースの真船君に来てもらったこともあったなあ。まきを君はマフマフなどと呼んですっかり仲良くなってたことを覚えてます(笑)。
この結成当初のChokami It!!は今の音楽性とは遠いところにいたと思います。お気づきだと思いますが、Fanta君もまだ参加していませんでした。でもまあ、ここからの流れがかなりモーレツな勢いなんですよねえ。その流れの起点がStay With Me(以下、ステイと呼びます。)だったような気がします。 ステイはChokami It!!の1stアルバム「Chokami It!!、Chokami It!!」に収録されているバラードなんですが、この曲がChokami It!!最初のオリジナル曲なんです。正式に言うと、僕がChokami It!!結成の10年前(古っ!笑)に組んでいたハバナムーン(Fanta君も参加してました。)というバンドで書いた曲です。このステイがChokami It!!としてオリジナルを作っていく勢いの起点になったと思います。 きっかけはまきを君と蔵童子で行っていた月1回のデュオライブでした。デュオライブは2001年9月から毎週入ることになり、この頃にオリジナルのステイをまずデュオで演奏してみようということになったんです。ステイが選ばれたのは、上記のとおり既に完成していて演奏しやすかったのと、僕が前々からまきを君に歌って欲しいと思っていた曲だったからです。 若干の歌詞の変更と英語でのコーラスを付け加えて、蔵童子で演奏し始めたのですが、まあこれがなかなかウケが良く、Chokami It!!でも演奏しよか、ということになっていきます。この2001年秋の3〜4ヶ月間の演奏回数ははっきり覚えていませんが、そんな多くライブはしていなかったと思います。その間にステイが確実にChokami It!!の最初のオリジナル曲として演奏されていたことは間違いありません。曲紹介の決まり文句が「名曲と言われ続けて早10年…。」でした(笑)。
この頃、数回のライブ及びミーティングを重ねる間に、せっかくだからもっとオリジナルを増やしていこう、という話になり、まきを君から発せられる通称「親分命令」(命令を果たせなければ罰金が付くという恐ろしいものです…。)により「2002年の新年会までに各自が2つ作曲してくる。」ことになりました。その新年会の場所がお決まりの茶碗さん宅だったのです。(続く) -
| | | 6年前…。その6 2005/07/20 | - 西田です。早いもので連載しだしてもう1ヶ月以上経つんですねえ。ここに書いている内容はChokami It!!がらみのことだけなんですが、それだけでも色んなことがあったんだなあ・・・、と改めて感じています。
2001年5月に「まきをバンド」(まきを君・BJ君・僕)が形となり、バンドとして少しずつ演奏の機会が増えていきます。記憶があっても時系列的な比較があいまいなんですが、どうも何度かジャズバーやイベントのライブに出演していたようです。
そうこうしているうちに、元々エレクトリックなことを目的としているので、やはりドラムがあった方が良いという話になってきました。これは半ば必然の流れとも言え、また、その候補に爆音セッションで一緒に演っていた逸見さんに一番に声がかかるというのも必然でした。
僕が初めて逸見さんと演奏したのは確か1999年春のスマグラーでのライブでした。メンバーは逸見さん・BJ君と僕のギタートリオ。BJ君から紹介してもらって、リハも無く「せえの」で音を出したと思います。その時はジャズのスタンダードなんかを中心に演奏しましたが、初対面にもかかわらず、また思ったようにお客さんも入らなかったため十分な環境では無かったのですが、気分良く付き合ってくれて本当に感謝したことを強く覚えています。もちろん演奏がバッチリなのは言うまでもありません。それ以降、BJ君とともにジャズファンク爆音セッションでよく顔を合わすようになり、京都のRAGとか大阪のNestSaloon等ライブハウス演奏するようになりました。そんなことから実力と人柄は十分わかっていたので、「まきをバンド」のドラマーは逸見さんということで意見が一致し、試しに、というかほとんどレギュラーにするつもりで(笑)、次のライブに来てもらおうということになりました。時は夏真っ盛りの2001年8月、場所はJKカフェだったと思います。
で、もう一つこの時期に大事な出来事が起こっています。当時月1回のペースでまきを君と蔵童子デュオライブをやっていましたが、そのことを僕の昔からの友人であるFanta君に話したところ、興味があるから見に行きます、とのことになり、2001年の初夏にFanta君が蔵童子に来てくれました。(詳しい日時は記憶にありません…。) このとき初めてFanta君とまきを君が出会います。予めFanta君が来る日がわかっていたので、まきを君に彼のことをエエ感じのキーボードでこんな付き合いをしてきた云々…、というようなことを少し興奮気味に説明していた記憶があります。また彼は僕にとって音楽の師匠のような存在でもあるのでちょっと緊張してたことも覚えています。
彼とは当時でかれこれ15年くらいの付き合いがあり、僕にとっては一番気心の知れたキーボーディストでした。僕がFanta君に出会ったのは1987年頃だったかな…。既に東京でプロのプレーヤーとして活動しており、彼と僕との共通の友人であるギタリストの川村君から「スゴイやつが居る。」という話を聞いていました。その川村君からFanta君が大阪に演奏に来るので見に行きませんか、との話があり、当時大阪の老舗のライブハウスだったバーボンハウスに(メチャメチャ懐かしい!)、某氏のバックバンドとして来ていた若干20歳の頃のFanta君を見に行ったんです。正直言って、スゴかったなあ…。これがプロのレベルの演奏なんや…、とその差に愕然としました。 Fanta君曰く、機材がトラブったりして満足の行く演奏ではなかった、らしいのですが、プレイの切れ味や音作りは目を見張るものがありました。Fanta君とのことを書き出すと長くなるので(付き合い長いからねえ…)、また機会があれば番外編でもアップすることとします(笑)。
とまあ、今回は出会い編のようなコラムなってしまいましたが、決してじらすわけではないですよ(笑)。次回はいよいよ「まきをバンド」が「Chokami It!!」として動き出します。(続く) -
| | | 6年前…。その5 2005/07/12 | - 西田です。今回は水曜日にPCを使えないので火曜日にアップします。今回から今のChokami It!!に少しずつ近づいてきます。このコラムのために簡単な年表を作ってきたんですが、この辺りからの加速はすごいパワーを感じますねえ。
2001年1月に茶碗さん宅であった新年会兼イベント打ち上げにまきを君と僕が出席してたんですが、そこにBJ君を呼ぶことにしました。当初からまきを君と一緒に演奏するベーシストはBJ君と決めていたので、僕的にはここで知り合いになってくれて、今後演奏する機会につなげようと思っていました。その新年会のことははっきりと覚えてないんですが(ホンマ覚えてないことが多い…)、少し遅れてきたBJ君をまきを君に紹介して、気が付くとエライ意気投合して仲良くなっていたような記憶があります。 確かこの時ちょっとした事件がありました。宴会中、まきを君が出席者に整体を施し始めたんです。みんなは基本的に「規則正しく不健康」なもんで(笑)、特にBJ君は横になってアチコチ押えられるたびにヒーヒー言ってたんですが、出席者の健康を思いやって力入れたんでしょうねえ、次の日、まきを君の手首が疲労骨折してたんです…。(やりすぎ!)
かくして、Chokami It!!のライブでエンタティナーぶりを発揮しグングン引っ張ってくれる2人はこんな感じで遭遇したわけです。まきを君にもBJ君にもお互いの存在がインプットされて、あとは演奏の機会を待つのみとなりました。
それからはちゃんと記憶が無くて最初の演奏がいつだったを思い出すことができません。ただ、その年(2001年)の5月に行われた高槻ジャズストリートにまきを君・BJ君・僕の3人編成で「まきをバンド」として出演したことははっきりと覚えています。確か2枠(1枠は45分の演奏)をもらって演奏したんじゃないかな…。曲もジャズとポップス中心でしたが、オーソドックスなアレンジのものとファンク系のリズムを取り入れたものを織り交ぜて演奏していたと思います。
写真が残っているので覚えているんですが、確か衣装を揃えようということになって、まきを君が3人分の衣装を買ってきてくれました。インド系の薄手の生地でエエ感じだったんですが、本番前にまず僕が着て「うん?」と思いました。少し小さめ(特に横幅)だったんですねえ。それを見てヤバイと思った瞬間、BJ君が結構無理やり着ようとしてて、入ったと思った瞬間バリバリ…。衣装は見事に音を立てて破けていました。「お前、ケンシロウか〜!?」てなことを言って爆笑したなあ。で、結局BJ君だけ衣装の方向性が違うことになりました(写真参照してください。(笑))
このジャズストの時に演奏した2枠は連続していて場所も離れていたため、1つめの場所の演奏を終えた後すぐに移動する必要がありました。まきを君は機材が無いためすぐの移動が可能でしたが、僕とBJ君は機材を片付けて移動する必要があり、次の場所に移動する手段がちょっとした問題になっていました。(ジャズストを見に行った方はご存知でしょうが、ジャズストは**時00分から演奏して**時45分には演奏を終了し、セッティング及び場所移動を残りの15分で行い、また☆☆時00分から演奏するのが基本的なタイムスケジュールとなっています。) その時、車で移動先に届けてくれたのが、Chokami It!!の心優しきドラマー逸見”Shack”勝君でした。逸見さん(昔から逸見「さん」で呼んでいるもんで、僕の中では敬称と言うより名前の一部と化してます。そんな理由で彼だけ「さん」で書いてます。) はBJ君を通じて紹介してもらって、例のジャズ・ファンク系エレクトリック爆音セッションでよく一緒に演奏してました。タイトでシュアだけど手数もOKなドラマーという印象で、この時のジャズストにもその爆音セッションで参加してたんです。その関係で僕とBJ君が彼の車で移動できたというわけです。この時まきを君と逸見さんが遭遇したかどうかは覚えてないんです…。
でもその年の夏いよいよ逸見さんが「まきをバンド」に参加する機会がやってきます。で、何と同じ時期にFanta君がまきを君と接触…。う〜ん、Chokami It!!に近づいてきたなあ。(笑) (続く) | |
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